教えて、私は誰になればいい?
こんばんは!私は元気じゃありません。つい最近&今日とっても嫌な出来事があったから。こういう時、どういう風に立ち回ればいいのかさっぱりわからなくなるけれど、何かを失ってでも守らなくちゃいけないものがあると思うので、守りにいこうと思ってます。
人として、言ってはいけない事、人として、やってはいけないこと。その基準っていうのは人それぞれバラバラだから、人間関係は傷ついたり傷つけてしまったりすることが多くなる。
それは絶対つきものだとおもう。でもやっぱりどんな人のことでも尊重できる人間に私はなりたいと。出来てないことも多々あると思うけど、努力したい。
ブラジルにいた時スーパーで買い物をしていたら、後ろに並んでいる女性の顔が火傷のせいかぐちゃぐちゃで、見慣れない風貌にびっくりした自分がいた。するとレジのおばちゃんが「今日もとっても素敵。とっても美しいね!」って屈託のない笑顔でその女性に話しかけて、多分顔見知りなんだろうけど、その女性は満面の笑みで「muito obrigada(ありがとう)」って答えてて。それを見た時すごくすごく感動したのを覚えてる。
ブラジルでは全身にあざのある少女が、キャミソールを着て歩いてて、隠そうとはしない。ありのままでもみんなが「muito bonita!(すごく素敵!)」と言い合う国柄だから。
黒人奴隷の血筋から、インディアンの血筋、移住した日本人の血筋、ポルトガル人の血筋、イタリア系やドイツ系の血筋がミックスし合って今のブラジル人達がいる。どこかの人種をけなす事は自分の祖先をけなすことになる、ってブラジル人の友達は言ってた。
ゲイやレズビアン、トランスセクシャルやバイセクシャル。そんな事にもオープンで、中には隠したがる人もいるけれど、それでも平和な空気が流れてる。
今の自分があるのは、何千年前何億年前からの奇跡が重なってのことなはずなのに、それでも自分に満足できない人達がどれだけいることか。
自分の好きな部分も、嫌いな部分も、大切な大切な祖先からの奇跡の贈り物。
今日の講義の中で、今の日本人の若者の中で自分に満足しているのはたったの7パーセントしかいないという事を聞いた。
他人と比べたり、社会的地位や学歴や収入、見た目重視の社会の中で、若者の自己肯定感が下がってる。それがどれだけむなしいことか。
本当に大事なのは、何かに感動する気持ちや人に優しくできる心。でもそれも自己肯定感がないと出来なくなってくる。
生きづらいなーってことが多々ある日本。私の生まれ育った母国。
いつも思う、どこの国にいても、日本にいても、何人にもなりきれない私。
大事な家族を置いてでも、ブラジルで優しい心で他人を思いやりながら、他人をジャッジなんかせずに生きていきたい。日本ではいつもジャッジされるから。そしてジャッジされると、自分もジャッジしてしまう。
他人の良いところを見つけて褒める。そうじゃなくて、その人がこの世に産まれてきてくれた事を他愛もない日々にお祝いできるような気持ちを持って、生きていきたい。
社会なんてクソだ、とか、菜食主義万歳とか、サラリーマンをけなしたりとか、自由人をけなしたりとか、お金が全てとか、愛が全てとか、自分の生き方が正しいとか、そんなんじゃなくて、この地球と、あなたと、知らない人と、万物を、祝福したいってここ半年はすごくすごく思ってて。
そんなことばかり考える深い夜。明日朝日が出るまでにひとつ素敵な夢が見れますように。あなたも。
naomuack
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