やっほー!沖縄から帰ってきて2週間東京の下北沢に滞在してる。
この3ヶ月沖縄にいたんだけど、最後の一ヶ月はむうみん牧場という今帰仁村にある牧場で働いてました。
思い返せば、半年前に長野県の山小屋で働いてから私の価値観というのは180度変わった気がする。なにもいらない。ただ生きてる生かされてるという感覚。それはあまりにも壮大な感覚すぎて、どう言葉にしていいのか分からないけど、とにかく今は流されて生きたいですっ!
そこには山があって動物がいて、人間が世話して、動物のフンで無農薬の水水しい野菜を作って、それを摘んで食べて。温かいお湯を出すために、動物たちの食べ残した大きな木々をボイラーに入るサイズにカットして燃やす。カットされた森の木々達は根っこが生きてるので、雨と太陽を栄養にしてまた新しく細い枝を出す。
その流れの中に自分がいて、それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。もう都会では生きていけない!ってかんじ〜。人間の原点に帰します。
特に今喋りたいことなんてない。太陽はサンサンと地球が出来た昔から、善人も悪人も自然も海も平等にくるくる回りながら照らしてきた。そんな感じで今はサンサンと生きていきたい。久々会った友達にそういうことを言うと、胡散臭くなったって言われるんだけど笑
沖縄のジャングルは本当にイケメン!!!!
新しい命
牧場主のむーみんさんとはたくさん怒鳴り合いのけんかしたなー笑 何回出て行けと言われたか!でも私はむーみんさんに感謝しかない。変なじいさんだけど、一生つきあっていきたいじいさんです。理不尽なこととかあったりするけどやるときはやるかっこいいおじいだぜ!尊敬してる。
そんなむーみんさんの若い頃書いた詩に魅せられて、絵をつけてあげたらとてつもなく喜んでくれた。芸術っていうのは仲の悪いアル中のじいさんとアル中の娘を仲良くさせるパワーもあるのか…。
狂雲
(詩 山の中の利一)
と
浮雲
(絵 naomuack)
狂った雲と浮いた雲による絵入りの詩集第一弾(下書き)
時の旅人
私の中に流れる時間と 私の外に流れる時間の 私はその時の旅人
出会いの時の、別れの時の、共に旅するもの達が
共有する時の流れの中の私は旅人
直線であるのか
湾曲であるのか
川の流れの海に向かう雲水から始まる以前の一雫にもなりきれぬ前の私から旅はすでに始まっていたはずで、その時の私は眼下にいくつものパターンの旅人たちの流れをかい間みた。
レテの川忘去の流れに身を浸さずに、この地上に降り立つ事が適わなかったけれど。
なのに、この旅の中ほどなのか、もうすでに末ほどなのか。
私は繰り返し繰り返し夢を見る。
快く波うち、うねり、くねる乳海の撹拌を
私はその中にいて、そしてそのさまを同時に外からながめてさえいて、
同時に月の持つ優しい力になりきって、ルナシー達に囁きかける。
「ゆらしてごらん、ゆれてごらん、まざってごらん。」
出会いの時の、別れの時の
共に旅する者達が、共有するという流れの中の私は時の旅人。
繰りかえし繰りかえし、こんな夢も見る。林檎の実こそ出てこなかったけれど。
深い緑のシダの葉の間より現れた貴方が、幾度であろうと、私は希望したはずの、この浄瑠璃の世界だけでの時の満足を鞍間のプラスの空間へと、時の外へと私を誘い出し今度は私の耳に囁きかける。
ゆらしてごらん、ゆれてごらん、まざってごらん、きえてごらん。
なくなってごらん。
出会い以前も、別れ以後も、前も中も後ろも有りもしないし、有りもする。
共有するし、共無もする。
あまりにも大きすぎてこれは無。
時の中で育まれた私の神経は、いましばらくはと今一度願う。
出会いの時の、共に旅する者達が共有できる流れの中で私は時の旅人で
今しばらくは暮らしていたい。
深い緑のシダの葉の間より現れて貴方も、共有できる流れの中で、
私と共に時の旅人で今しばらくはいてほしい。
絵は一番の悪友だな。描こ。
音は救いだな。踊ろ。
音は救いだな。踊ろ。
naomuack
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